不屈と前進の気概を胸に 心一つに早期復旧

vol.09

東北電力 原町火力発電所
運営企画グループ 運営企画課長(2013年4月現在)

工藤 悟志さん

巨大な津波に襲われた原町火力発電所

東日本大震災で巨大な津波に襲われた福島県南相馬市。この地にある東北電力原町火力発電所も、最大で高さ18メートルの津波が押し寄せ、設備は壊滅的な被害に見舞われた。発電所の司令塔的な部署に所属する工藤は、災害対策本部の事務局として指示を出し続けていた。最も高い第二波の到来を前に、事務本館からタービン本館の屋上に全員が避難し、155人の安否確認を終えて、ほっとしたのも束の間、「タンクが津波でぐしゃぐしゃと壊れていく」のを目の当たりにする。2号機は点検のため停止中。稼働していた1号機も安全に手動停止したが、事務本館内の火災が長くくすぶり、中央制御室への延焼を防ごうと、翌朝まで消火活動を断続的に続けた。工藤が震災を語る口調は、冷静でよどみない。目の前で起きた事実を丁寧に説明する姿は、この災禍を語り継ぐ使命感さえ感じさせる。


巨大な津波は事務本館3階天井の高さ(矢印の高さ)にまで達した

「チーム原町」で驚異のスピード復旧を果たす

あらためて敷地を見渡せば、ひしゃげた揚炭機、倒壊寸前の電気集塵器、3階以下が津波にぶち抜かれた事務本館など、発電所としての機能は完全に失われ、「絶望的な気持ちにとらわれた」と振り返る。しかし、手をこまねいてはいられなかった。倒壊した重油タンクから漏れ出した重油の処理や石炭の自然発火の防止措置が必要だった。福島第一原子力発電所から26キロメートルに位置するため、事故の影響もあり、限られた人材と資機材の中で知恵を絞り、汗を流した。

2011年8月ごろから復旧の槌音が増す。発電所員と協力企業の社員。復旧に集った仲間は皆、「チーム原町」の一員と胸を張り、心を一つにして難工事に挑んだ。同社火力原子力本部が標榜する「不屈と前進」を合言葉に、あらゆる関係者が思っていたことは一緒だった。「目標は非常に明確だった。それをみんなが共有していた。『一日も早く復旧、発電しよう』」。当初は13年夏前とした発電再開は、前倒しに次ぐ前倒し。使える設備は徹底して使い、工事は常道も奇手も織り交ぜ、安全を最優先に「早く、安く」を実現していく。復旧には延べ約120万人が従事。昨年11月3日には2号機、今年1月28日には1号機が発電を再開。当初の予定を半年近く前倒してのスピード復旧を果たした。

当面求められるのは、依然危うさの残る電力需給を安定化させる確かな供給力。しかし、工藤はさらに次のステージを見据える。「これからの電力自由化で、なるべく安いコストで発電し、安定して途切れなく供給することが今より深堀りして求められる」と感じるからだ。電気事業が迎える変化の荒波に、より安定した稼動と一層のコストダウンで迎え撃つ。そして、この災禍でつかんだ通常では経験できないノウハウは、「きちんと資料として整理し、次世代に技術を伝えていく」と誓う。

さらにインフラ整備の資材としての石炭灰の提供、地域の林業資源に着目した木質バイオマスなど、地元の復興へ向けたプロジェクトの具体化にも本腰を入れる。
震災数日後、発電所から数キロ離れた社員寮の食堂に、窮余の策として災害対策本部が置かれていた。外部との通信連絡手段も限られる中、震災直前まで仕事でお世話になった地元の関係者が、工藤を心配してわざわざそこに訪ねてきた。安堵の表情を浮かべ「いがったな、無事で」と声をかけられたことは忘れられない思い出だ。地元密着の発電所運営を心がけてきたが、その距離感は「それまでよりさらに近くなった気がする」と振り返る。震災でお世話になった多くの人に報いるため、これからも地元と共に歩む決意を新たにしながら。

Enelog No.9 繋ぐ力インタビュー映像