2.エネルギー政策の動向

90年代以降、エネルギー消費はほぼ横這い

ドイツは第二次大戦後の冷戦によって再東西に分断されていたが、1990年に社会主義国家東ドイツの崩壊によって統一された。統一後は旧東ドイツ地域での経済が落ち込み、非効率な火力発電設備の更新や閉鎖が行われた。そのため、ドイツのエネルギー消費量は、1990年代以降、漸減あるいは横這い状態が続いている。2011年には一次エネルギー消費量が第一次オイルショックの1973年から今日に至るまでの間で最も低い水準となったが、これは温暖な気候に恵まれたことが影響したもので、気候要因を取り除いた場合にはエネルギー消費はほぼ例年並みとみられている。

昔も今も石炭火力が中心

一方、供給面では、ドイツはもともと褐炭と石炭を豊富に産出する国で、この石炭資源は歴史的にドイツ工業の発展に大きく寄与してきた。1960年代以降、石炭は安い輸入石油に押されて主役の座を追われたが、政府は1973年の石油危機を契機に石炭への再転換策を打ち出し、石炭産業を保護してきた。その結果、2011年現在でも石炭の生産量は国内エネルギー生産量の37%(暫定値)を占め、原子力等を加えたエネルギー自給率は41%(暫定値)を維持している。石炭は特に発電用に大量に使用されている。政府の石炭産業保護策によって電力会社に課された国内炭引き取り義務は1996年で廃止されたが、その後も補助金の形で保護策が継続されている。その結果、石炭火力のシェアは2011年現在でも全体の発電量の約46%(暫定値)を占めている。最近では、天然ガス火力も導入されているが、まだ総発電量の14%程度にとどまっている。

脱原子力へ

石油危機を契機に注目されたもう一つのエネルギーが原子力である。1975年にドイツ初の原子力発電所が商業運転を開始したのを皮切りに、原子力の開発を進め、17基の原子力発電所(計2,049万kW)が建設された。

しかし、1986年のチェルノブイリ事故を契機に原子力への反対運動が活発化した。1998年に成立した社会民主党(SPD)と緑の党による連立政権は脱原子力政策を打ち出し、2002年には原子力法が改正され、原子力発電所は32年間の運転後順次、閉鎖されることになった。

2009年に成立した原子力推進派キリスト教民主社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)によるメルケル政権は、2010年10月、脱原子力政策を一部見直す原子力法の改正を実施し、32年とされていた原子力発電所の運転期間を12年延長した。

しかし、2011年3月に発生した福島事故を受け、メルケル政権は脱原子力に転じた。2011年7月には、最も古い7基(故障で停止中を含めると8基)を閉鎖するとともに、運転中の9基も2022 年までに段階的に閉鎖することを決めた。

再エネ開発推進

原子力に代わって、政府が開発を推進してきたのが再エネである。特に政府は再エネとコージェネレーション(電気と熱を同時に生産)の開発に熱心で、政府は1991年の「電力買取法」、2000年の「再エネ開発促進法」により、「固定価格買取制度」(FIT)を導入し、電力会社に対してこれらの電源からの発電電力を高い価格で買い取ることを義務付けた。

このような奨励策が奏功し、ドイツでの再エネ、特に風力、太陽光発電の開発は目覚しく、2012年にはそれぞれ3,000万kWを超え世界的規模を誇るまでになっている。

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