自分の経験が役に立つなら、福島第一原子力発電所の構内作業でさえ、飛び込んでいきたいと思った。

vol.02

関西電力 原子力事業本部・放射線管理グループ
マネジャー

中村 孝治さん

福島第一原子力発電所の事故が起こった直後、関西電力から応援部隊のリーダーとして現地に向かった。震災の影響で鉄道をはじめ公共交通機関は機能していない。会社の車両で陸路を延々と進んだ。自分の経験が役に立つなら、放射線量の高い発電所構内の作業に飛び込んでいきたいと思っていた中村にとって、福井から新潟を経て福島に着くまでの9時間の道のりはもどかしいものだった。

日ごろは原子力発電所の放射線を管理する仕事を任される。発電所の外へ放射線の影響を及ぼさないようにするとともに、働く人たちへの放射線の量をいかに少なくするかという重要な仕事だ。入社以来、ほぼ一貫して放射線にかかわる仕事をしてきた。高度な知識と経験の蓄積が求められるこの仕事に、中村は誇りを持つ。

いま中村は応援部隊の一員として福島県内の保健所で住民の被ばくスクリーニング(汚染検査)を行ったり、住宅や学校、公園など環境中の放射線量を計測している。スクリーニングは、住民一人ひとりに対し、頭から足の裏まで、計測器を使って全身をていねいに計測する。 毎日同じ地点で空間線量を測り、変化を調査する。 住民から要請があると、その地域に赴いて環境中の放射線量を計測し、結果を伝えるのも中村たちの仕事だ。2週間ほど福島で活動すると、また関西電力の職場に戻る。この往復を震災以降何度も繰り返している。

事故直後は、放射線の影響を不安に思う住民が日に何百人も保健所を訪れた。早朝から深夜までの活動は、さすがにこたえた。検査を受けに来る住民の中には、やり場のない気持ちを抱える人がいる。電力会社への厳しい声や、怒りをぶつけられることもしばしばあった。中村はとにかくていねいに聞いた。質問にもできるだけ答えた。そうすることで、少しでもその人の心が落ち着くのなら、と思った。

電力会社や原子力業界は事故を未然に防ぐシステムを様々に講じてきたが、それでも事故は起きてしまった。電力会社も業界も、そして自分自身もこの事実をまっすぐに受け止め、しっかりと行動していかねば、と感じている。

全国の電力会社から来る応援部隊は福島県郡山市を拠点に延べ約5万3000人(10月27日現在)で活動を繰り広げてきた。当初は試行錯誤の連続だったが、最近はスクリーニングや環境中の放射線量の測定手順も定型化してきた。環境中に出た放射線の挙動を調べることで得られる知見は、これからの原子力防災にとって重要な蓄積になるはずだ。福島のために何ができるのか。「地に足をつけ一日、一日できることを確実に実行することから」と話す。環境中の放射線や健康への影響は誰もが気がかりだ。安心してもらえる日が来るまで、中村たちの努力は続く。