その悔しさが「何が何でも復旧してみせる」と、強い意思に変わった。

vol.05

東北電力 仙台火力発電所
発電技術グループ 機械主任

佐藤 康二さん

仙台火力発電所4号機はガスタービンと蒸気タービンを組み合わせることにより、天然ガスを効率よく電気に変える最新鋭の発電所だ。それまでの石炭火力をリプレースして2010年7月に営業運転を始めた。
それから、わずか8カ月。大震災による高さ約5メートルの津波が容赦なく発電所を襲った。建屋のシャッターを突き破って膨大な海水が流れ込んだ。電気設備などが集中する1階は天井まで水没し、2階の制御装置も電源喪失により機能しなくなった。発電所として致命的な被害だ。できたばかりの最新鋭の発電所が津波にのまれる様子を、佐藤は茫然と眺めるしかなかった。

津波直後の仙台火力発電所内 津波直後の復旧作業は、水も電気も通信もない厳しい環境だ。水没した設備やケーブルは津波が運んだ泥に覆われていた。なのに泥を洗い落とす水がない。佐藤たちはスコップを使って泥かきを始めた。すると、いつの間にか発電所に携わる協力会社の人たちが加わってくる。「音頭をとったわけじゃないけれど、みんなが集まって、とにかく泥をかいた」。気の遠くなる泥かきは3月いっぱい続いた。やっと泥から顔を出した設備を復旧しようにも工具がない。スパナも満足に確保できなかった。

仙台火力発電所を津波が襲ったのは建設終了から1年に満たない時期だったため、発電所には建設に携わった人の多くが残っていた。「あれほど苦労して建設したのに……」。誕生して間もないプラントが一瞬にして奪われた辛さ、悔しさを人一倍感じたのは、手塩にかけて発電所を造り上げた彼らだった。その悔しさが「何が何でも復旧してみせる」と、強い意思に変わった。

仙台の市街は、仙台火力発電所が止まったままでも停電から立ち直った。日本海側の発電所から電気のバックアップがあったからだ。新潟や秋田からの電気で明るくなった仙台の街を見て、佐藤は思った。「仙台の街に一番近い仙台火力の電気で仙台の街を灯すんだ」電力マンのプライドと使命感が、復旧の速度を一気に上げた。

被害の大きさから「新しい発電所をもう一度造るようなもの」と言われた復旧工事。完工に1年以上はかかると思われたが、発電所員とメーカーや工事業者が一体となって昼夜を徹した作業を続け、計画を大幅に前倒しして2012年2月8日、仙台火力は見事に復旧を成し遂げた。

仙台火力発電所の事務棟には当時の津波の高さが記されている 佐藤自身、通勤の自家用車を津波で流された。程度の差はあれ、発電所員の多くは被災している。それでも復旧作業に弱音を吐く者はいなかった。「自分ひとりでは限界がある。でも、全員が力を合わせると、すごいことができる。これは伝えていきたい」。

運転再開を果たしても、安心してはいられない。今年の夏も電力が足りるかどうかは予断を許さない。原子力発電が停止している中、火力発電は安定供給の要だ。「震災直後に電力をバックアップしてくれた日本海側の発電所は、フル稼働を続けているので、設備が疲弊している可能性もある。万一、不具合が起きたら、今度はこちらが助ける番だ。気を引き締めていかないと」。夏を見据え、佐藤たちは設備のメンテナンスに神経を研ぎ澄ませている。

Enelog No.5 繋ぐ力インタビュー映像