エネルギーの重要性を噛みしめる

vol.10

経済評論家

勝間 和代氏

1968年東京生まれ。慶応大学商学部卒、早稲田大学ファイナンスMBA取得。当時最年少の19歳で会計士補の◇を取得、大学在学中から監査法人に勤務する。アーサー・アンダーセン、マッキンゼー、JPモルガンを経て独立。現在、株式会社監査と分析取締役をはじめ、中央大学ビジネススクール客員教授などを務める。幅広い分野で発言し、ネットリテラシーの高い若年層を中心に高い支持を受けている。

「電力」というエネルギーに対する尊重が私たちの間にすっかり失われていたのではないか、一連の発電施設を訪れたときの率直な私の感想です。これまで、泊発電所、大間原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所、大飯発電所、島根原子力発電所、川崎火力発電所、堺太陽光発電所(メガソーラー)の計7箇所の発電所と、六ヶ所村の原子燃料サイクル施設、むつ市のリサイクル燃料貯蔵施設、幌延町の幌延深地層研究センターなどを視察に訪れましたが、どの施設も「損得勘定抜きで、安定した電力を家庭や企業に届けたい」という思いから運営されていることが、よくわかりました。特に、現場を自然災害から守るために尽力されている職員のみなさまのひたむきさには頭の下がる思いです。エネルギーの安定供給に向けて頑張ることが、これほど誤解される世の中になってしまった事は大変不幸なことですが、少しでも早く国民が冷静さを取り戻すよう私も側面から支援していきたいと思います。

さて、私は東京のほか、北海道の北見市という、道東の網走近くの、日本でももっとも寒い場所の一つで年間の4分の1を暮らしていますが、冬はだいたいマイナス15度から20度くらいになります。

北見の地に「電気」がなかったとしたら、私は冬に住めないでしょう。実際、数日、弱く暖房をつけながら家を空けていたときに、数日だからいいだろうと油断して水抜きをしていなかったら、その間にわずかな停電があって暖房が止まってしまい、家中、カチンカチンに凍っていました。コーヒーサーバーの水も、流しの桶の水も、洗濯機のホースの水も、ぜんぶ、カチンカチンです。

なぜ北海道が明治時代以降の開拓かというと、単純に、安定エネルギーのない江戸時代以前は、私たちはそこに住んだり、食料生産をしたりすることができなかったからです。

小さい頃から私たちは、「食べ物を残してはいけない」としつけられてきました。それは、本来の環境に対して不自然な作為である「農業」というものを人類が行いながら、自然に感謝をしながら共生するための感謝だったと感じます。

エネルギー生産というのは農業と同じで、生きるために必須です。食べ物が採取狩猟生活から農耕生活に移ったよう、火力、水力、原子力、自然エネルギー、どの方法をとっても、すべてある意味「不自然」な形態ですから、私たちが自然との調和をとらなければならないのです。

私たちが「自然からエネルギーをいただいている」という心を持てば、どうやってエネルギーを生かせばいいのか、視点が変わってくるのではないでしょうか。

そして、さまざまな発電方法を組み合わせて、「一番自然と、人間が調和できる方法」を考えていかないといけないのではないでしょうか。すべて、自然に対し何らかのトレードオフがあるのがエネルギー生産です。私たちは、その現実に向かい合いながら、議論をすべきです。北見での冬を迎えるたびに強くそう思います。

2013年9月26日寄稿