4. 原子力開発動向

早い時期から原子力を導入

エネルギー資源に乏しいイタリアは、エネルギーの約8割を輸入しており、電力供給の主力である火力発電の燃料についてもその大部分を外国に依存している。こうした状況に対して、政府はエネルギーの安定供給を目指して早くから原子力の開発に本格的に取り組んできた。1960年代中頃には3基の原子力発電所を運開させるなど、初期の原子力開発は比較的順調に進んだ。

チェルノブリ事故で脱原子力

1973年の石油危機に際して原子力開発計画が加速化されることになった。しかし、地方自治体や住民の反対によって原子力の建設が進展しない中、チェルノブイリ事故の翌年の1987年に行われた国民投票では、原子力発電所などの大規模電源の立地を促進するための法律が否決された。そのため、政府はラティーナ原子力発電所の閉鎖、建設準備工事中のトリノ・ベルチェレーゼ第2発電所のキャンセル、工事進捗率が約8割に達していたモンタルト・ディ・カストロ発電所の火力への転換などの方針を打ち出した。

翌1988年に策定された国家エネルギー計画では、今後在来型原子炉の建設を行わないことが規定され、1990年には既設のカオルソ、トリノ・ベルチェレーゼ両発電所の閉鎖が国会で決定された。この結果、イタリアでは運転中、建設中の原子力発電所は皆無となった。

福島事故で脱原子力に回帰

その後、2008年に発足したベルルスコーニ政権は、電力の安定供給や電力価格の引き下げを目的として原子力開発を再開するための法律を成立させ、2030年に電力の25%を原子力で賄うことが政府の目標として掲げられた。しかし、原子力再開の是非を問うために2011年6月に行われた国民投票の直前に福島第一原子力発電所事故が発生し、投票した国民の94%が原子力再開に反対票を投じる結果となった。

これを受け、政府は原子力を抜きにした新たな国家エネルギー戦略案を策定し、国民に提案することになった。

このように原子力開発を停止したイタリアでは、火力、とくに輸入したガスによる火力発電の比率が非常に高く、このため卸電力価格は欧州の主要国と比べ4割ほど高くなっている。こうしたことから原子力の電力が潤沢な隣国のフランスなどから国際連系線容量のほぼ限度一杯まで使って電力が輸入されており、輸入電力の比率が国内電力消費量全体の13~15%を占める状態が続いている。
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