チョルノービリ(チェルノブイリ)事故

1986(昭和61)年4月26日、旧ソ連ウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)村に立地していた原子力発電所で、近隣の地域はもちろん、東欧や北欧まで放射能が拡散するという、原子力発電所事故としてはこれまでで最も重大な事故が発生しました。

当初、旧ソ連は事故に関する情報を発表せず、放射能レベルの急上昇をみたヨーロッパの国々の圧力によって、重大事故の発生を認めました。この情報隠ぺいは世界から大きな批判を浴びました。国際原子力事象評価尺度(INES)ではレベル7とされました。

事故発生の過程

チョルノービリ(チェルノブイリ)事故は、外部からの電力供給が止まった場合、タービン発電機の慣性の回転によって、どの程度、発電ができるのかという特殊な実験を行っている最中に発生しました。原子炉の出力が急上昇し、ウラン燃料の温度も上昇し、蒸気の発生が激しくなり、圧力管の破壊、さらに原子炉と建物の破壊に至り、大量の放射性物質が外部に放出されました。

チョルノービリ(チェルノブイリ)発電所の構造

このような大事故に至った大きな原因は、旧ソ連が独自に開発した原子炉(黒鉛減速軽水冷却沸騰水型炉 RBMK炉)の構造にありました。このタイプの原子炉は、低い出力では自己制御性を失うという特性をもっており、さらに万が一の場合に備えて原子炉を覆う原子炉格納容器もなく、その他の安全装置も簡単に外せる構造になっていました。

日本原子力文化財団/原子力・エネルギー図面集

原子力百科事典 ATOMICA

チョルノービリ(チェルノブイリ)事故の原因

原子炉の安全設計上の問題のほかに、運転員の規則違反や、運転管理上の問題などが重なって大事故に至りました。これらの問題の根底には、原子力に携わる人々の間に、常に安全を最優先して行動すべきであるという考え方(安全文化)の欠如があったと考えられています。

「安全文化」という考え方は、ここから生まれました。

日本原子力文化財団/原子力・エネルギー図面集

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